ナイチンゲールは、看護そのものを習得しようとしたら、あるいは良いナースになろうとするのなら、時と場所を問わず、まず病棟に入ってそこで看護そのものを具現化している人について、その言動を見習いその人の考えを学ぶのが最も確かな道だと教えています。その看護理念をたぐっていくと看護師長が病棟の要であり、看護師長こそ「看護を最もよく知っている人」であるべきで、かつそれを「己の技術を通して実現できる人」でなければならない、というところに行きつくのではないでしょうか。
ナイチンゲール自身クリミア戦争当時、自ら38名のナースたちの模範となるように働き、なによりも「看護とは何か」というテーマを誰にでも分かるように自らの具体的な動きを通して示していました。 病棟で生き生きと看護が展開されるためにはいくつかの要因が必要ですが、その中で何にもまして大事なこと、それは「看護とは何か」ということを本当に分かっている看護師長が存在すること、言い換えれば、すばらしい管理者を得てはじめて病棟は本来の姿を実現することができるということです。
ナイチンゲールは、看護の働きの何たるかを実によく研究した人でした。そして看護とは、自然の癒しのプロセスが妨げられないように暮らしをととのえることだと言っています。 病気は暮らしのありようの中から生まれ、また暮らしのありようによって癒されていくもの、という考え方がこの思考の前提にあるのですが、看護はまさに暮らしそのものと深くかかわる仕事といえるのではないでしょうか。